当宮について

神社名:八幡宮

御祭神DSC00379

応神天皇おうじんてんのう(第15代) (誉田別尊ほむたわけのみこと

天照皇大神あまてらすすめおおかみ

白山姫命しらやまひめのみこと

伊雑大神いざわのおおかみ

罔象女命みずはのめのみこと

鎮座地

愛知県岡崎市福岡町字南御坊山19番地・20番地

例祭日

10月第3日曜日

由 緒

 当社創立の由来を伝えるに、永禄7年(1564年)3月一向宗騒乱(三河一向一揆)の際、戦火を被り縁起、社歴等は焼失し詳細を知る由なきも、残存している遺物文献によれば、遠く奈良朝の末年か平安朝の初期と思われます。
永禄の頃までは、随神門が有り、また神宮寺も建立しており、付近一帯の鎮守産土神として尊敬厚き総社でした。
DSC00078応仁元年(1467年)正月、真宗本願寺八代目蓮如上人が当地に来て、神宮寺の側に寺(土呂御坊本宗寺又は善秀寺)を建立し、三河門徒の拠点地となる。かくして浄土真宗隆昌し、僧兵を置いて勢力を振るう。是により神宮寺はもちろん、当社の社運日に月に衰微してしまいました。然るに、永禄6年(1563年)一向宗の騒乱蜂起し、翌7年徳川家康に攻められ本宗寺滅亡したので、家康の家臣石川数正が乱後の平定に努めると同時に八幡宮の社殿を造営し、鏡二面を奉納すると伝わります。
元亀年中(1570年~1572年)に至り、神宮寺は退廃はなはだしく再興の余地なく本尊佛のみ修理し、当社の拝殿に安置し、寺門廃滅にいたりました。
元和2年(1616年)幕府代官畔柳寿学が当所を支配するに当たり、寿学社参して本殿拝殿等の再建を命じ、同5年9月落成しました。

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